8月 19th, 2008
韓国スタディツアー④
8月14日ハプチョン→テグ→平澤(ピョンテク)

ハプチョンでて、バスと電車でピョンテクに向かう。ピョンテクは、在韓米軍の基地がある。人口40万ちょっとの地方都市。ピョンテクは、ソウルまで地下鉄で2時間くらい。
平澤駅で、通訳をしてくる在韓フリージャーナリストの角南さんと合流。昼食は、角南さんおすすめのお店で。へージャンクを食べる。豚肉のチゲ鍋?辛かった・・・。
午後3時に韓国原爆被害者協会畿湖支部に訪ねる。支部2世の会の会長らが出迎えてくれた。いろいろとトラブルがあったが、連れて行ってもらって、被爆者で徴用工裁判の原告でイクンムクさんから話を伺えた。

(イクンムクさん。4人兄弟の末っ子。21歳の時、警察が徴用令状をもってきて、広島・旧三菱重工で勤務、1944年9月から1945年8月まで。給与(20円)の半分は、実家におくるという話だったが、実際はされておらず、40人で訴訟をする。2007年11月最高裁で国の敗訴が確定。三菱は賠償をしていない。被爆時は、防空壕にいた。朝、警報が鳴って解除されたあとにピカッと光ってものすごい爆風がはいっきた。釜山に帰ってきたのは、45年の10月頃で、多くの船が機雷で沈んだ。85年に脊髄の病気の治療で来日し、手帳取得。95年にも治療で来日し、再度手当をうけた。)
夜は、バイキングに連れて行ってくれて、韓国のスーパー銭湯にいく。9人とも2世の会副会長のパクさんお宅にとまらせてもらう。家も広く、ハプチョンであった2世のひとたちと全然ちがう暮らしぶりに驚く。協会支部の事務所は、ピョンテクのほうがずっと立派だったが。
パクさんたち2世の会3人は、「ハプチョンは自分の意思で日本に行ったものが9割以上。ピョンテクは、強制的に連れて行かされた」と強調していた。協会と民間の団体が行った調査でも畿湖地域は9割近くが徴兵・徴用で、ピョンテクは徴用はほんの数%という数字が明らかになっているが、同じ被爆者の団体で、意識の差が大きくあることを感じた。しかし、自分の意思で生活のために日本に行ったとしても被爆したことにかわりはない。

朝食は、韓国の家庭料理をだしていただけた。豆腐を焼いたものがおいしく、取り合いになっていた。

(家に泊まらせてくれたパクさん夫妻。後ろは、会長さん)

